3回目の整体。知識をつける事で改善実感!

最近通い始めた整体。昨日は3回目の施術であった。

そもそも整体は、酷い肩こりを改善したいという思いから、開いた扉であった。1年という期間をかけ2週に1回ペースで通うプランだ。だが、正直通う程ではないんだよなという気持ちが心の片隅にあった。というのも、私は決まったペースで通うのではなく自分が不調を感じた時、「整体に行きたい」というモチベーションの時に赴く事を理想としていたからだ。

だが、3回目の施術を受け気持ちが固まった。「このペースで通いたい!」

 

担当してくださる整体師さんが、すごく丁寧な方で、一つ一つの不調個所についての説明をしてくださる。その為「こういう理由があって、この不調が起こる」など、根拠を持って自分の痛みと向き合う事が出来る。今まで1番の原因だと感じていた「年齢」のせいばかりではないという事に気付く。もちろん、「これまでの生活習慣による長年積み重ね=年齢の積み重ね」というものはある。だが、根拠を理解し痛みに対しての解像度を上げる事で、年齢のせいにして諦めるのではなく改善の余地が十分あるものだと思わされる。

また、前述の通り自分は肩こりをどうにかしたいという思いで整体へと足を運んだ。

ところが、自分が焦点を当てていなかった思いがけない他の不調についても教えて頂き「確かに!」と他の不調と向き合うきっかけとなった。長年、隣りあわせとなっていた不調達。その感覚が自分の普通となって、不調だとさえ感じていなかった。それらの不調についても全体的に改善へと導いて頂いている。

 

例えば、巻き肩についてもそうだ。それほど気に留めていなかった巻き肩。巻き肩が原因で、布団にしっかりと体を沈める事が出来ていない。それが原因で、朝起きてもズッシリと体に疲れが残っている感覚が残るのだそうだ。これについても、2回目・3回目とすぐに改善していることを実感する事が出来た。毎晩寝る前に、両肩が布団についているのを確認することが私の寝る前のお楽しみとなっている。整体師さんの腕が良いのは間違いない。本当にすごいと思う。

また、足先の冷えについて。それも、体質的なものだと思っていた。ところが私の場合、足の冷えに繋がる血管が固くなっているという事だ。そこを毎回ほぐして頂いている。

 

どんなにネットや本で検索しても知り得なかった知識についても深堀りする事が出来て、本当に興味深い。不調に対する解像度を上げる事で、普段の生活からそこに意識を向け改善・予防に努める事が出来るというものだ。これまでセルフで行ってきたマッサージやストレッチ・改善する為に買い集めたグッズ達ももちろん悪くはないと思う。だが、それらは根本となる原因にほとんど焦点が当たっておらず、結果は雲泥の差である。

 

3回目の整体でこんなに体調自体もそうだが、意識も向上へと向かっている。これから通い続け自分の変化を目の当たりにする事が本当に楽しみだ。

正直に、誠実な人であろう!

映画、オッペンハイマーを観に行った。

ジャンル的に、私には難しいだろう。と、事前に映画の解釈をやんわりと観ての鑑賞であったが…

それでも私には理解が難しい作品だった。歴史的背景や、オッペンハイマー・他登場人物など基礎知識を理解していなければ、どんどん進んでいくストーリーに着いていけない。そんな、内容の濃い映画であった。

伏線となるであろう一場面がすごく多い!でも、それに対する解釈が追い付かない。見ている最中から、「早く家に帰ってネタバレをググりたい」とさえ、思ってしまう自分がいる。

 

とりあえず、目の前で流れている映像は心に焼き付けて。約3時間の映画に観入った。全体像の解釈は難しかったが、オッペンハイマーの心の動きに感情移入してしまう場面も多く、こちらもドギマギしながら映像に見入った。また、実際に原爆が落とされた被害国、日本も当然一場面に挿入され、その被害の莫大さを表現する場面は深く心に焼きついた。原爆投下については、それがどんなに脅威であるかを日本人なら子供のころから植え込まれている事であろう。何度その恐ろしさを聞いても、やっぱり印象強く衝撃が胸にずしんと残る。オッペンハイマー自身も、原爆を作り出す事の罪悪感に向き合っていく。

 

ネタバレを読んで…

原爆を投下する事により、終戦へ。それが戦争による被害をより減らすことに繋がると考えていたオッペンハイマーであった。ところが、それどころか想定以上に多くの人を苦しめ、また、核という新兵器の誕生により次なる戦争への始まりのきっかけを作ってしまう。

一人きりでは背負い込めない程の罪悪感を言い逃れをする事なく受け止めるオッペンハイマー。それはどんなに苦しいことだろうと、想像に苦しむ。だが、のちには物理学に関する業績を称えられ、フェルミ賞を受賞する。

映画の終盤、この物語の重要場面となるであろう一場面。アインシュタインオッペンハイマーに言い捨てる「十分に罰を受けた後、賞賛されるだろう」という言葉が印象的であった。

 

教訓。「結果は後からやってくる」という思いを胸に刻み、正直に生きよう。そう思った。

自分を守る為にそれを正当化する。あるいは周囲を蹴落とそうと試みたりする。そのような行為は、その時はそこから自分を有利にすることが出来るであろう。しかし、長い目で見たらそれは自分を不利にする行為なのだ。長い時間をかけて、自分優位なふるまいを続ける。それがどんどん自分自身を腐らせることになる。「正直に、誠実に生きよう」そう思わされた作品であった。

湊かなえ「人間標本を読んで」

「告白」を初めて読んだでからずっと、湊かなえさんの作品の虜だ。

登場人物の心情をえぐりにえぐりって表現し、それは共感を超えて読んでいる途中から感情が爆発してしまうこともある。

例えるなら、表面上は仲良くしている二者。ところが彼らには他者には分からない巧妙なイザコザが隠れていることが多々ある。第三者に訴えても、「あの人はいい人だよ!」と、伝わらず。返って自分が悪人になる。この複雑でもどかしい気持ち、誰も表現してくれる人はいなかった。

自分の経験したことのある、心の深いところにある感情表現に共感を抱く。湊かなえ作品にはそんな凄さがある。

そして、イヤミスの女王と呼ばれるだけあって、物語最後の最後で180度急展開させる。今回の作品もそうだった。その、"急展開前"の展開にさえ度肝を抜かれ夢中になって読み進めていたのに、まさに最後の最後でまたもや裏切られてしまった。え!そっち?!と。読者を最後まで飽きさせない。

 

今回読んだ「人間標本」

思いやりと思いやりが絡まり合った。そんな作品だった。

脳の筋トレを。

理解力という能力に、私は自信がない。そういった悩みから行き当たった本がこちら。

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総じて、自頭を良くしたい!という思いから手にした本書であったが、タイトルにもあるように”瞬読”もできるようになる本だ。

瞬読に関しては、以前から手に入れたいと思っていた能力である。というのも、本屋に行けば興味を引く本がたくさん並んでおり、どれもこれも手に取りたくなる。ところが、私は本を読むペースがとんでもなく遅い為、たくさん並ぶ本の中でも特に読みたいと思う本を厳選しなければならない。こういった事からも、瞬読の能力を手に入れてたくさんの本を読みたいと思っていた。以前にも、速読や瞬読の本を購入してはそれができるようになりたいと訓練らしき事に挑戦したが、それも長くは続かず結局私の読書スキルは上がらないままであった。

瞬読のスキルを上げる為に、右脳の能力を高める必要がある。右脳の能力を高めれば、イメージする力が強くなり、判断力や思考力などが身につく。その後に左脳で言語化する事を通して、記憶に定着するという。それを鍛えてくれる優等生が、本書だ。

 

少し話が変わるが最近知った言葉に、小並感という言葉がある。これは、小学生並みの感想しか出てこないという事らしい。「すごい」「面白かった」などだ。自虐的な意味を込めて使われるそうだが、私も他人事ではない。本や映画に感動はしても、その心揺さぶられたきらめきを、果たして上手く相手に伝えられるであろうか?自信がない。その表現力の乏しさで、もどかしい気持ちになる事がある。この瞬読トレーニングを通して、頭を柔らかくすることでこの力も身に着ける事が出来たらなと思う。

 

また、身につく能力として、

優柔不断がなくなり、即断即決の「判断力」が育つ

というのも、魅力に感じた。私は、単純な決断にしてもパッと決める事が出来ない。「ん~。どっちてこともないけど~。」といつまでも悩んでしまう。それどころか、決断した後に「やっぱり違ったかも~」と、本当に優柔不断。これは、自分軸が弱いからなのだとこれまた別の本にも書いてあった。世の中、出す答えに絶対というものはないのだ!という大きな心で、即断即決する力を身に着けたいと思う。

 

理解力をあげたいという気持ちから、本書を手に取ったが、それだけでなく、この本から様々な力を身に着けられそうだ。この、”様々”な力という点と点が繋がって結果、理解力を上げるという1番の目的に成果を上げられればなと思う。

整体。2度目の効果の実感。

昨日は、2度目の整体の日だった。

整体師の先生からはじめに「前回の施術からどうですか?」と調子を聞かれた。

前回の施術を受け、体のコンディションだけでいうと「良かった気がする」という感想だ。1度目の施術は、お試し料金であったという事もあるのだが、整体というものについてや料金についての説明が多かった。

ということもあり、1度目の施術後の感触としては、体の変化というよりも気持ちの変化の方が大きかったように思う。これから施術を続ける事によって、体が健康に向かい、そして心まで整えることが出来る!体の痛みを改善したいという思い1つ叩いた扉であったが、施術を続ける事でこれから自分に起こるであろう変化に心が弾んでいた。いつも思う、人柄良くなりたい・メンタル安定した人になりたい等々が思いがけず、ここで繋がり、整体に通う目的が色濃くなった気がした。

という事で、心も体も軽やかにしたい!という気持ちで約2週間に1度のこの日を”ワクワク”楽しみにしていた。

 

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2度目の施術を受けた今。1度目よりも明らかに体が軽くなったのを感じた。整体を終えると、まず呼吸が深くなったのも実感しかつ、それとも重なって体も軽い。大げさだが、風船にのように体が弾む。

 

そして施術中に感じた事として、1つの個所を整える度、その部分の張りや凝りがなくなっているという実感をすぐに感じる事が出来た。施術前には体が凝り過ぎているせいか、先生のゴットハンドに触れられただけですごく気持ちが良い。だが、施術を受けた後には”ただ触れられているだけ”と、さっきまで気持ちが良かった指圧が全くの無感覚になるから不思議だ。「張りがなくなりましたよ~」という先生の言葉で、”本来の体のコンディションとはこれか!”と、一瞬で正常の感覚というものを知る。凝りや張りとの付き合いが長すぎて、これら不調というものに対して麻痺していたのだ。

 

また、ひどい巻き肩にも効果を実感。私は、仰向け状態になっても床面に両肩がつかない。これも整体に通って教えて頂いたのだが、この浮いた状態が翌朝に疲れが取れていない要因の一つとなるのだそうだ。1度目の説明の時にそれを知り、家に帰って自分の体を確認すると全く床面につかない。意識し始めるとすごく気になり、毎日のように横になってはそれを確認していた。それが、2度目の施術で両肩が床面と近くなっていたのだ。まだ完全ではないが、このビフォーアフターの違いには驚いた。そして、やはり翌朝の目覚めもすっきり!

 

たった2度の施術でものを得ることが出来たので、今後どうなるのか?本当に楽しみで仕方ない。3度目の時は、どんなメリットがあったのかという事を先生に伝えて感謝したい気持ちでいっぱいだ。

今日も気持ちよく眠れることに期待で胸が弾む。

不安君サヨナラ($・・)/~~~

仕事帰りからの今。今日は不安要素の多い一日だった。

家路についてからホット一息ついているところであるが、なんかモヤモヤ。

そうだ!不安を書き出そう。と思い今に至る。

最近読んでいる本。どの本にも、”不安を書き出すこと。それでそのモヤモヤした存在が明確化し、大した問題ではない事にたどり着ける”という事が書いてあった。(最近、気付けばその類の本ばかり選んで読んでいる…)

 

そもそも、私は体質的に不安を感じやすい体質を持っているらしい。

今年になってはまっているアーユルヴェーダ。それでは人のタイプを3つのタイプに分類している。大体の人が一つのタイプに限定しているわけではなく、タイプを混合しているのだが私が1番に持つタイプ、ヴァータという体質が性質上不安を感じやすいというのだ。

不安といつまでも対峙してしまうという事は、今に始まった話ではない。この大きなモヤモヤした存在には長年悩まされてきた。それゆえ、そもそも不安を感じやすいタイプであるという性質なのだと知れただけでも、大きな収穫だったと思う。「こんなに不安なのは、明確に何かマイナスな事実があるわけではない!自分があえて作り出している仮想なのだ!!」という事への逃げ道をつくる事が出来るようになったからだ。

 

メモ紙に、今日の不安要素を書き出してみた。これらの解決策を一つにまとめるなら、完璧じゃなくていいや!肩の力を抜こう。

ということ。自分という人間を受け入れることにしようと思う。

明日は仕事が休みだ。とりあえず、整体に行くことだけ用事としてあるがおおいに楽しい一日を過ごし、リフレッシュしたいと思う。

苦手を克服できる時間を費やしたい

今週のお題「練習していること」

 

私は人前で話しをするという事に苦手意識を持っている。単に、いつものメンバー内での会話をする事ならできるのだが、会議であったり不特定多数の人が集まる場でのコミュニケーションともなると、しゃべる事が出来なくなる。何とも情けない気持ちに押しつぶされる。この悩みは今に始まったことではない。学生の頃からの悩みである。

何故30代を過ぎた今になっても変わらない悩みでその度、落ち込み続けるのか?答えは明確。改善できるような努力を全くしてこなかった。無意識ではあるが、これを自分の気質上のもののセイにしていた。そして努力をして改善するという単純な事に繋がらなかった。(むしろ、間違った発言によって恥をかくよりも黙っておく。という結論にさえ至っていた💦)最近、この手の本であったり情報を得る事で、努力によって同じ壁にぶつからなくなるのだという事をやっと実感するようになった。

また、それを切に感じる出来事があった。先日職場の会議に出た時の事。その会議というのも、会社全体の役員の会議で他事業所の偉い人達が集まる。(私は前役員の退職に伴って、必然的にそれを引き継がなくてはならない状態でそこに入る事になってしまった。)知らない人かつ自頭の良い人達の中で、意見を交わし合う。私のレベルでは、なんとも危機的状況である。決まったからには逃げられない。

 

それを終えた今...やはり、落ち込んでいる。一人だけ何も話せなかった。どころか、相槌さえ頼りない反応しかできない。思い出しただけでもキャーと、顔を覆いたくなる。穴があったら入りたいという言葉の例文をつくるのにこの状況を例題に挙げる事ができるであろう。

この状況、このまま年齢を重ねても維持していくのかと言ったら、それは絶対に嫌だ。少しずつでも自信を持てるようになりたいものだ。

 

そこで、振り返る。自分が話せない根本的解決になる原因は何なのか?そしてそれを明確化することで今後に生かす事が出来るよう努力していきたい。

場慣れする

まず、根本的に自分に自信がない。なぜなら、そういった場面に慣れていない。私は、上司という緊張感のある人達とのやり取りをひたすら逃げてきた。周囲に隠れてどうにか逃げて、この年まで来てしまったのだ。緊張感のある方達と会話をしようとすると、呼吸をつく間もなくテンパってしまう。場数を踏む事で今後、この極度の緊張を安定させる事に繋がればと思う。例え挨拶程度でもいいので、積極的に顔を合わせてコミュニケーションをとるよう努めよう。

成り立ちを理解する

また、今回でいうとその会議の全容を把握できていなかったこともある。役員になって間もないという事は言い訳に過ぎない。今回の役員会の全体像、きちんと理解できていなかった。

 

理解力を上げる

そして、会議中上司達が話を進める。それに自分の理解が追い付くのに時間がかかる。つまり、情けないことに話についていけていない。分からないけれど、理解できていない状態では質問をすることができない。的を射た質問であるならまだしも、反れた質問を万が一しては自頭の悪さをアピールするようなものだ。ビビってしまう自分がいる。そして、上司達は普段自分の周りでは使わない、使いまわしの単語をつかったり改めてすごいなと尊敬した。

先日読んだ本、「頭のいい人が話す前に考えていること」で学んだことにリンクして得る事がたくさんあった。まずは、日常からこの本から学ぶ事を時間をかけて実践し、自分に植え込む事をしたいと思う。

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まとめ

今回、私のこの苦手意識の大きな原因として、準備不足というものに気付く。準備をしておくことで、

 話をしっかり理解する事ができる。

→話についていける

→的を射た発言をすることが出来る。

→自分に自身を持てる

→次への挑戦の意欲に繋がる

と高いポテンシャルで成長する事が出来るようになりたいものだ。今現在、自頭がいい人達との交流にビビる。避けたい。という陰気なコンディションだ。ネガティブ過ぎて伸びしろゼロ。

今回、貴重な場に参加させて頂き、自分を見つめなおす事が出来た。自分の悩みを一つ明確化することが出来たので、これに沿って、今後改善していけるよう努力していきたいと思う。